今月の断片(セプテンバー、いつも)

 

 9月上旬、ニューヨークの美術館を巡っている予定だった。大学のプログラムに応募し、面接を経て参加が決まっていた。しかし、今年の感染症流行によって、中止を余儀なくされてしまった。悔しく思いながら、為す術もなかった。

 ニューヨークでの日々が折り返しを迎えていたはずの9月9日、閉じこもっていた家を出て、江ノ島に海を見に行った。空は台風一過の快晴で、地元住民と思しき水着姿の人々が、晩夏の海水浴を楽しんでいた。皆ウイルスなど素知らぬ顔で浮き輪を抱え、海水に足を濡らしていた。湾曲した浜辺に人が群れをなしている様子を遠くから見ると、絵に描いたような夏らしさだった。松尾芭蕉がいたら、夏の季語を使って一句詠んでいただろうなと思った。

 連れ立って出かけたのは、知り合ってから一年と少し経った後輩で、気に入っているアニメが僕と同じことから気を許している。一緒に桟橋を歩いた後、近くのイタリアンレストランに入ることにした。席に案内され、注文した後は、ガラス越しに海を見ながら、ふたりで静かにピザが来るのを待った。もう少し話しても良かったのかもしれないけれど、その場では黙っている心地良さが優って、ぽつぽつと喋る以外はほとんど黙って過ごした。テラス席に大きな犬と飼い主がいて、彼らの向こうに見える海は、太陽を反射してキラキラと光っていた。その海を超えた向こう側、遠い国にある美術館の様子を想像してみたが、何も思いつかなかったのですぐにやめた。

 その日は遅くまで遊んで、最後にコンビニのアイスを食べて帰った。学生最後の夏休みの思い出としては、悪くない一日だった。

 

 

 最後に泣いたのはいつだろう。ふと気になって考えてみると、もう長い間、感情的な涙を流していないと分かって少し怖くなった。ここ数ヶ月(あるいは1年以上の間)、ぼくの目頭から涙がこぼれた場面があったとしても、あくびのついでか、目にゴミが入っただけだ。

 そんなぼくも、以前、恋人がいた時にはよく泣いていた。主に彼女との喧嘩がその理由だった。好きな人との衝突はその度に苦しかったが、苦しさに涙を流している時、その実、ぼくにもまだ感情的に泣くだけの感性が残っているのだと思って、どこか安心していた。

 泣きながらその感性に安堵することと、長い間感情的に涙を流さずに過ごしていることは、どちらも冷たく感じる。2つの状況は真逆で、大きな差異があるが、どちらも、人間本来の感情を欠いている気がして不安になる。

 しかし、本当の涙なんてものがあるのだろうか。エゴもなく、発散でもなく、自身の苦痛を純粋に反射した、血液のように滴り落ちる涙を、ぼくは生まれてから一度でも流しただろうか。もしかしたら、忘れてしまった赤ん坊の頃に、そうやって泣いた経験があるのかもしれない。大人になったぼくはもう本当の涙を流せない。しかし、それに憧れている。ぼくは泣きたがっている。

 

 

 昨年参加したインターンで、その業務内容と全く関係なく、印象に残っている言葉がある。

 言葉の主は、同じインターン生だった。僕たちはオフィスにある作業部屋におり、与えられた単純作業をこなしながら雑談をしていた。インターンは長期に渡っており、それまでに訪れたいくつかの場所は、すでに思い出の地となっていた。しかし、その人はこう言ったのだ。

「懐かしいって、無責任じゃない?」

 当時のぼくには、その真意がよく分からなかった。なんとなく分かったフリをして、その言葉の響きの良さに、とりあえずうなずいていた。

 先日、その言葉を強く反芻した。懐かしいって無責任だ、と。

 その日、複数人の友人と、久しぶりに対面で集まった。参加者の1人に、以前はよく同じ電車で学校から帰っていたが、感染症流行のせいで、半年ぶりの再会となった友人がいた。

 食事の後、その人と2人で同じ電車に乗った。並んで席に座ると、どうしようもなく懐かしさが込み上げてきて、なんだかくすぐられるようで少し笑ってしまった。

 同時に、この懐かしさは、無責任なのかもしれないと思った。隣にいるこの人の日常は、ぼくと関係なく毎日続いているのに。半年前並んで帰ったあの日々から変わらず、その延長線上に積み重ねられているのに。ぼくはその存在を現在と切り離して、懐かしさに位置付けてしまう。それは無責任な感想なのかもしれない。

 けれど、やはりどうしようもなく懐かしかった。無責任な懐かしさは心地よかった。

 友人とは改札前で別れた。今度山登りでも行こうか、と誘ったのだけれど、マスクのせいで聞こえなかったらしく、相手の表情には明らかにクエスチョンマークが浮かんでいた。結局、そのまま手を振って改札を出た。友人はそのまま別のホームに消えた。