今月の断片 2024-02

 

 ずっと歩いてここまで来たんです、と指差す方向を見ると道は長く続いていて、山の向こうに隠れたその先を見ることはできない。途中でいろんなことがありました、とその人は言う。いろんな人と会って、いろんな景色を見ました。僕はそれを聞くだけで、本当の意味では知ることができない。

 

 今年、25才になってようやく、眼鏡からコンタクトに変えた。同じ時期にパーマもかけたので人相が大きく変わったらしく、知り合いに会って話しかけるたびにキョトンとされるのが面白い。決まって、一瞬誰だかわからなかった、と言われる。
 今さらコンタクトにした理由を聞かれてその度に回答に困るが、たぶん自分を変えたかったんだろう。自分自身への失望に対するささやかな抵抗でもある。
 もっと変えておしゃれになろうかな、と思って下北沢の古着屋に行ってみたが、圧倒的な物量と人混みに目が回るだけで何も分からなかった。一つも買わずに諦めて、そのまま駒場東大前まで歩きカツカレーを食べた。これまで何も克服できていないような気がする。でも、この方がいい。古着よりカツカレーの方が話が通じる。

 

 

今月の断片 2024-01

 


 実家に帰ると、母は「おかえり」と言い、父は「いらっしゃい」と言う。

 

 三ヶ日の終わりに給湯機が壊れ、お湯が出なくなった。業者に見てもらったが、ずいぶん古い製品だし寿命でしょうということで、結局、交換の工事が入るまで丸一週間、お湯の出ない年初めを過ごしたのだった。
 一日の終わりにパソコンを閉じて、夕飯を作って食べたあと重い腰を上げて銭湯に向かう。外は凍えるような寒さで、ひとり歩く夜道は大変に心細い。銭湯も今は数が減っていて20分ほど歩かないと近所にはないのだ。こんなことなら自転車のパンクを直しておくべきだったと思う。
 大きな湯船で芯まで温まったあと帰路に着くと、身を切るようだった風も今度は気持ちよく感じる。体がまだぽかぽかしている。温かさとはそれだけで心強い。

 どんな言葉を選ぶか、あるいは選ばないかがその人を表しているし、いつのまにか使うようになってしまった言葉に気付いて自分自身にがっかりする。本当は伝わらないはずのことや小さいけれど大切なこだわりが、陳腐な言い回しに巻き込まれて見えなくなってしまう。わかる、という嘘。安易にうなづくのをやめたい。

 

25年間に出会った10の教え

 

1. 「物事にはコツってのがあるんだよ」
by 駐輪場のおじさん

 まだ小学生の時だったと思う。駅の駐輪場で、自転車をラックに上手くしまえずウンウン言っていると、駐輪場の管理人さんが近づいてきて、車輪をひょいと浮かせるとこう言った。僕はたぶんその時まで、闇雲にやる以外の方法を知らなかったのだ。

 

2. 「自分が正しいと思ったことをやればいいから」
by バイトの先輩女性

 初めてのアルバイトは近所のファミレスで、やることが積み重なるマルチタスクなその仕事が大の苦手だった。判断に迷うたびフリーズしている僕にベテランの先輩が与えてくれたのがこの言葉である。それ以来人生の指針になったが、マルチタスクは得意にならず半年も経たずに辞めた。

 

3. 「逆だったかもしれねェ…」
by 『NARUTO -ナルト-

 急にマンガの台詞。言わずと知れた名場面である。作中ではライバルに向けられた言葉だが、日常生活においてはあらゆる他人に対して思うことがあり、例えばニュースで報道される殺人犯や自殺した親子にそれを思う。それは重要な回路だと感じる。

 

4. 「マクトゥーブ(それは書かれている)」

by 『アルケミスト

 ブラジルの小説家パウロ・コエーリョの作品。年老いた商人は、主人公にこの言葉の意味を尋ねられ「これがわかるためには、アラブ人に生まれなければならないよ」と答える。きっと理解できないものと知りながら、中学生の僕は物事のすべてを書き記す大きな手を想像し、それが今も頭の片隅に残っている。

 

5. 「よく考えること、自分で決めること」

by 青年心理学の先生

 大学で、アイデンティティと恋愛がテーマの大人気の講義があった。定年間際のおじいちゃん教授が、決断において大事なことはこれです、と端的に説明した時、これは一生の教えになると直感的にわかった。

 

6. 「人間は思ったより適応できる」
by ゼミの先生

 ゼミの担当教員、江口さんと一度だけサシで飲んだ日のことをよく覚えている。幡ヶ谷のライブハウスで江口さんおすすめのバンドの演奏を観た後、近くの焼き豚屋に2人で入ったのだ。当時、周りが就活をする中で全く動いていなかった僕がいま一応会社員をやれているのは、この言葉を真に受けたからでもある。

 

7. 「自分の中の何を手放してはいけないのか、何には固執しなくともよいのかということをしっかりと、けれど柔軟に考えていってほしいと思います」
by ゼミの先生

 大学を卒業する時、江口さんがゼミ生に送ってくれた金言。僕が自分の言葉のように言っているのを聞いた人もいるかもしれないが、すみません、完全に受け売りです。

 

8. 「人に惑わされるな。環境は整えろ。邪魔される暇はない。思い出せ。イメージしろ。完遂しろ。」
by 高校の同級生

 同じクラスに、良く言えば孤高の、悪く言えばちょっと浮いた感じの生徒がいて、あるとき彼がこんなツイートをしていたのだった。他人の内面という深い穴の底を覗き込んだようであり、同時にこの強い言葉に信念の存在を感じた。いまもそれに励まされる。

 

9. 「孤独になれ。
    真の創造は孤独からしか生まれない」
by 高校の美術教師

 真面目にやるのがかっこ悪いと思っている中学生たちは美術の授業中もずっとふざけていて、教師がそれを叱る。光景としてはありふれているのかもしれないが、僕がその場面で聞いたこの言葉は遥かに本質的な響きがあり、もはやそぐわなさすら感じる。今思い返すと、作品の創作に限らない話のような気がしてくる。

 

10. 「形あるものはすべて壊れるのよ」

by 母

 幼いころ、お気に入りの小さいお皿があって、パンやお菓子をいちいち乗せて食べていた。ある時、不注意でそれを割ってしまい、幼い僕は取り返しのつかない後悔と恐ろしさで泣き喚いた。それを慰めようとした母がおそらく何の気なしに言ったこの言葉が、世界の定理として僕の中に深く刻まれたのである。あの小さい、貝殻の形をしたかわいいお皿は、僕が出会うことのできる世界の全ての象徴である。

 

 

今月の断片 2023-12

 

 秋ごろ、初対面のparty peopleに、喋り方ヤバい人だ!って言われたこと、まだ傷ついています

 

 平日は壁の薄い部屋で凍えながら仕事をして、週末は観劇か飲み会のために街へ出る生活。あとの時間は次に作って食べるもののことを考えながら、こまごまとした用事を片付けている。このまま年も明けるだろう。大掃除とかしなきゃな。

 

 大学1年生の夏ごろに買って6年以上使い続けたMacBook Proがついに動かなくなった。電源コードを挿してもバッテリーが減り続け、ついには電池マークだけを残して返事をしなくなる様子はまさに臨終の時という感じだった。少し前からOSアップデートに対応出来なくなり流石に潮時だなと思ってはいたのだが、本当の最後は急だったな。たくさんのレポートや戯曲や企画書を乗り切った思い出があるので感慨がある。庭があればお墓を作って埋めていたところだ。今までありがとう。

 

 振り返ってみると、今年は実家を出てルームシェアを始めたり、自分の集まりで初めての公演を打ったり、ほかの団体にも関わらせてもらったり、あと実はちゃんと勉強して資格も取れたので、恋人ができる気配が1ミリもないことを除けばとても充実していて良かった。
 仕事の慣れもあって、今後もなんとかやっていける気がする。同時に、いや、安定しちゃってどうする、みたいな気持ちもある。
 世界は決して均一には広がっていないのだ、ということを思い出さなければならない。その歪みに目を凝らさなくてはならない。

 

 

今月の断片 2023-10

 

10月10日(火) 曇りときどき雨

 涼しい。長袖を着た。
 昨日までの連休で、資格試験と演劇の申請作業が終了。どちらも準備に3ヶ月くらいかけたので、一気に肩の荷が降りた感じだ。
 一休みしたいところだが、諸事情から今週は出社。朝が早くなるのでちゃんと就寝時間を早められるのは、我ながら睡眠への意識が高いと思う。

 

10月12日(木) 晴れ

 嫌なことを思い出しづらくなると聞いてテトリスを始めた。通勤時間にちまちまやっている。あまり上手くはないのですぐ積み上がって失敗してしまうが、目的は筋トレみたいなものなのでまぁ良いだろう。実際、寝る前とかも頭の中にテトリスが降ってきて余計なことを考えずに済んでいる気がする。でもこれって、単に無意味なことで頭をいっぱいにするってことでしかないな。本当は良いことで頭をいっぱいにしたいけど、現実は良いことばかりではない。仕方なく無表情なカクカクで埋めるしかない。

 

10月15日(日) 雨

 昨日は双子で高尾山に登った。僕自身は3年ぶりで、あ、この店であの人ととろろそば食べたな、とか思い出しながら登った。相方も元カノと来たことがあるらしく、図らずも追憶の登山となってしまった。僕の方は全然また会えるけど。
 ゼルダの伝説について話しながら歩くとあっという間に山頂に着き、双子で向かい合ってそばを食べた。帰りはリフトに乗って山を降りた。途中で記念撮影があり写真を買った。双子の写真を買う双子。

 

10月19日(木) 晴れ

 社外研修で朝から幕張へ。遠い!!
 駅から会場へ向かう途中、パンの良い匂いがして顔を上げると、目の前に「やきたてパン工房」の文字があってにっこり。一度通り過ぎて会場に向かいかけたが、完全に焼きたてのパンのことで頭がいっぱいになっていたので引き返して入った。
 研修は全2日。明日もパンを食べに来る。

 

10月20日(金) 晴れ

 普段使わない駅でお爺さんに電車を聞かれて、自信満々に逆向きのホーム指さしちゃった。間違えに気づいて急いで探したけど見つからない。ごめんよお爺さん……ごめん……今きっと目的地から遠ざかっているよ……

 

10月29日(日) 晴れ

 昨夜は大学の友人と新宿で飲み、人生と他人の話を聞いて人生と他人の話をした。おそらく会話のスピード感が全然違う相手なのだけど(僕は遅い)、話したいことはたくさんあって良かった。エビマヨにパイナップルが入っていてビビった。
 今日は、先週末に双子の相方を介して知り合ったばかりの友人の家に行き、粗大ゴミを出すのを手伝った。距離感のショートカット。「錯覚」という気もする。
 夕方まで話して解散し、今度は高校時代の友人が出演する公演の観劇へ。来ていた他の友人たちと終演後に飲みに行った。思い出話に花を咲かせていると気づけば観劇時間の倍以上話し込んでいた。たくさん話した週末だった。
 友人と久しぶりに話した後ほとんど必ず気が重くなるのはなぜだろう。いつも上手く話せないからか。それとも、彼らが向き合っている現実の不条理を考えるからか。そこで笑い話にされる以外の言葉にならない膨大ななにか。

 

 

 自分の満たされなさに落ち込んでる場合か?世界は怒りと悲しみで溢れているのに?

 

今月の断片 2023-09

 

 髪を切ったついでに近くのフードコートでたこ焼きを食べるつもりが、直前に心変わりしてタピオカミルクティーを飲んでいる。これまであまり飲んでこなかったタピオカのカップは思ったより大きくて、3割ほど飲んだところで飽きてしまった。やっぱりたこ焼きにしておけばよかった。どうして急にタピオカを選んだんだろう、たこ焼きとタピオカの共通点なんて、「た」から始まる4文字で丸い、というくらいしかないのに。
 意外とあったな。
 9月の折り返しになってもまだ暑い日が続いている。

 

 毎月末の投稿だけを決まりにして、形式や文体を変えながらブログを続けている。たぶん、その時々の日常の過ごし方が反映されているのだと思う。稽古期間は日記になるし、内省的な時期や生活に追われている時は散文になる、気がする。
 今月は、資格試験や演劇のあれこれに向けて準備する日々。あっという間に1週間が過ぎて、また週末が来る。来月中頃には落ち着くはず……と思っているが、これもうあれかもな、年末に向けての忙しさの渦がすでに始まっているのかもしれない。なんかちょっと憂鬱だ。

 

 下旬、急に気温が下がって過ごしやすい。近所に用事があったので徒歩で向かっていると、途中で大きな墓地を横切った。お墓参りに来たらしい幼い女の子が「わたし、こういうお墓がいい!」と他人の墓石を指差しており、言われた母親が「な、な何を言ってるの」と狼狽えていた。