今月の断片 2024-01

 


 実家に帰ると、母は「おかえり」と言い、父は「いらっしゃい」と言う。

 

 三ヶ日の終わりに給湯機が壊れ、お湯が出なくなった。業者に見てもらったが、ずいぶん古い製品だし寿命でしょうということで、結局、交換の工事が入るまで丸一週間、お湯の出ない年初めを過ごしたのだった。
 一日の終わりにパソコンを閉じて、夕飯を作って食べたあと重い腰を上げて銭湯に向かう。外は凍えるような寒さで、ひとり歩く夜道は大変に心細い。銭湯も今は数が減っていて20分ほど歩かないと近所にはないのだ。こんなことなら自転車のパンクを直しておくべきだったと思う。
 大きな湯船で芯まで温まったあと帰路に着くと、身を切るようだった風も今度は気持ちよく感じる。体がまだぽかぽかしている。温かさとはそれだけで心強い。

 どんな言葉を選ぶか、あるいは選ばないかがその人を表しているし、いつのまにか使うようになってしまった言葉に気付いて自分自身にがっかりする。本当は伝わらないはずのことや小さいけれど大切なこだわりが、陳腐な言い回しに巻き込まれて見えなくなってしまう。わかる、という嘘。安易にうなづくのをやめたい。