家と旅

「やっぱりおうちがいちばんだね」

そう言ったのは、幼稚園に初めて行った日のぼくだそうだ。温かいお茶をすすりながら言っていたと母から聞くと、我ながら微笑ましくもなる。

 

ぼくたちは、いつもと同じだと、安心する。ずっと続くと退屈だけど、慣れ親しんだ場所や、そこで過ごした時間、習慣の中の居心地の良さが、ぼくたちを受け入れてくれる。

そういういつもの安心を、ここでは「家」と名付けてみたい。

いつものメンバーで行くいつものお店。お気に入りのメニュー。いつもの味。毎日通う駅までの道、同じ電車。そしてもちろん、自分の部屋とか、ベッドや椅子も。建築物としての家とか、家庭の意味での家だけじゃなくて、なんか安心するもの・こと、全部ひっくるめた実感の「家」だ。

 

逆にその外で、いつもと違うワクワクと不安が入り混じる時もある。今度は、それを「旅」と名付けてみる。

いつも乗らない電車、初めてのお店。思い切って遠出した先の、見たことのない景色や、ホテルの天井を眺める時間。実感の「旅」。

 

この「家」と「旅」を、日常と非日常と呼んでもいいのかもしれない。けれど、その名前はなんだか、仰々しくて捉えどころがないような気がする。あるいはありふれた表現だから、実感がわかないのかもしれない。だから、「家」と「旅」。今のぼくにはこの名前がしっくりくる。

住んでいる街の知っている道も、夜には違う顔をすることがある。それはたぶん、夜が「旅」の成分を持っているからだ。街灯が反射した、橙色のアスファルトとか、やけに響いて聞こえる車のエンジン音。あの不可思議な、異国情緒に似た感覚。そこに「旅」がある。

こういうことは、日常と非日常という言葉では捉えられなかったことだと思う。「家」の中にも「旅」があり、「旅」の中にも「家」がある。それぞれが違うやり方で、ぼくたちを安心させたり、不安にさせたりしている。人が皆、それぞれの「家」と「旅」の中で生きているのも、考えると興味深い。

 

それに、朝家を出て、学校から帰って眠る時、今日は一日中「家」にいたなと思うのは、なんだかおもしろい。