休みの日には家で思い出し笑いをしている

高校の美術の先生が、生徒に向けて語った言葉がある。年度末、退職される直前のことだった。体育館に集まった生徒たちの中で、ぼくもその言葉を聞いていた。

「孤独になれ。真の創造は孤独からしか生まれない。」

名言だ。今も思い出してそう思う。

同時に、けれど、と思う。今のぼくが何を創造できるのだろう、と。電車で席を譲る時さえ、口をパクパクさせるだけでなんの言葉も生み出せないのに。この間それで逆に不審がられてしまったし。

あと創造?繋がりだと自己紹介も昔の方が上手かったと思う。あれって、自分についての文章の創造でもあるでしょ、でもこの間新入生の前では自分のことを堂々と語れなくて、言葉が打ち消されて、妖怪しどろもどろ爆誕という感じだった。これはみんなそうかもしれないけど。でも本当はもっと話したいことがある気がしている。これも孤独になりきれない弊害だろうか。

最近は特に、スマホが手放せないし、誰もいない帰り道がとても辛い。去年までは「1人になれるのが大学の良いところ」だなんて豪語していたのに。何人かの仲の良い人と会話をする、そういう暮らしのために学校へ行く。授業を隣で受けてくれることに安心する。教室を出て手を振ると寂しい。そうやって、誰かと切り離されて1人になると、自分の輪郭がむしろぼやけていく。座標が定まらない。休みの日には、家で思い出し笑いをしている。

 

久しぶりに会った友だちに、「最近何してるの」と聞かれ、自分が何者であるか、語る言葉を持ち合わせていないことを自覚する。「スーパーでレジ打ちをしてる」「仲の良い人と授業を受けている」…違うなぁ、本当はもっと輪郭のある自分の話をしたいのに、見つからないなぁ。ぼくだって、「週末は青山のクラブでDJをしています」とか言いたい。でも言えない。

DJしてないし、クラブ行ったことないし。