開けなかった送別会

  歯医者に入院した。下顎前突症と言うそうで、下アゴが前に出ているいわゆる受け口の矯正手術のためだった。顎関節近くの骨を一度切断し、接合面を削ることで下アゴを短くすると言う、大きな手術だった。

  一年前、はじめに説明を聞いた時、思った。

  本気で言ってんの?

  骨を削ってアゴを短くするって、処置が直接的過ぎやしないか。口の中からメスを入れて骨を削るって、それだけ聞いたらあら坊ちゃん想像力豊かですことと笑いたくなる手術概要である。

  混乱する僕を尻目に担当医の説明は続く。

  「手術後は顔がパンパンに腫れますし、痛みもあります。口にはチューブを入れた状態で固定されて、しばらくモノも食べられません」

  いや、脅すな。怖くなるだろ普通に。こっちの想像力まで掻き立てるんじゃない。

  けれども、担当医の脅しにも理由があった。手術のための矯正を一度始めてしまうと、保険適応の関係で、手術を取りやめることができないのである。つまり、手術を受けるか否か、一年前のその時に決めなければならなかった。

  ほぼ即決で、手術を受けることにした。長年コンプレックスであり続けたこの下アゴである。克服のためには顔がアンパンマンになろうがなんだろうが、耐える覚悟はできている。

  それから一年、人生初の”骨折”を手術台の上で経験した。全身麻酔により意識はなく、その間に下アゴは7ミリ削られた。目覚めてから1週間以上を歯医者の病棟で過ごした。腫れも痛みも聞かされていたほどはなく、退院まではむしろ、流動食の食べ応えのなさに苦しんだ。

  一方で、手術後確かに短くなったアゴを見て、ふと思うことがあった。

  削られた分の骨はどこに行ったんだろう?

  手術過程でどんな姿になったにせよ、7ミリ分の骨は摘出されて、どこかにあるはずだ。そこから廃棄されたとしても、それがぼくの骨であることに変わりはない。そう考えると、あれだけ短くしようと息巻いていたアゴにも、妙な哀愁を感じた。そう、7ミリは旅立ったのだ。

  そう思えば、送別会でも開くべきだったのだ。「ありがとう、7ミリ」と書かれた垂れ幕の下で、寄せ書きでも送るべきだった。7ミリの関係者が一堂に会して残された時を惜しみ、7ミリ本人からも最後の言葉を聞ければよかった。しかし、20年近く人生を共にした7ミリに、別れを告げる間も無く手術は終わってしまった。

  退院からまもなく1ヶ月。7ミリを失った悲しみからは順調に立ち直っている。ガンガン立ち直っている。立ち直りまくっている。最近は焼肉とか食べてる。

  術後はじめて前に出てきた上アゴとの噛み合わせは、これからまた一年かけて矯正していくことになる。一年後、骨格レベルで完璧な噛み合わせを手に入れた暁には、7ミリをしのんで乾杯のひとつでもしようと思っている。