猫を見ましたか?
なんですか?
猫です、先ほどまでここにいたのですが…
見ませんねぇ、鳴き声も聞かなかった。
そうですか。いや、それは…、まぁいいんです。本日はありがとうございます。
いや、こちらこそ、わざわざどうも。
いえいえ、こうしてお話を伺えるなんて、うれしい限りです。
はは…。
ちょっとすみません、せっかくですから、録音を、ね。
それはなんです?
ええ、ですから録音をさせていただきたくて。
あ、録音機。
そうですね。これで、よし…。初めてですか、こうして取材を受けられるのは。
ええ、ずっと黙っていましたからね。
それは世間に口を閉ざしていたということですよね。
まぁ、そういう表現もできます。
…どうして今回は、このようにお話を?
まず時間が余ったからです。
なるほど、暇だったからと?
はい。単に暇だったと言うこともできますが、今回の場合それはすこしだけ複雑です。
といいますと。
例えば、ある場所からある場所へ移動する場合、それには運動と時間が必要ですよね?
はい。
しかし、現代では機械による運動機関がそれを代行している。私自身の運動と時間が余るわけです。ここで言う運動と時間の余りを、私は語ることに使うことにしました。
ええと…すみません、それはなんの例えでしょう。
言ってしまえば、電車のようなものです。
…わかりました。
逆に聞きますが、なぜ私にこのような取材を?
そういった類の関心が世間にはあるんです。
ごくわずかなものでしょう。
たしかに部分的ではあります。でもそれは大した問題じゃないでしょう。これはすべてあなたの話ですから。
そういうものですか。
あなた自身はいかがです?
と言うと。
あなた自身が口を開いたことに、どういった意義を感じますか?
ふむ。すでに述べた通り、わたしは長いこと沈黙していました。それを役割として担ってもいた。自分というものをつくる大事な要素として考えてもいました。けれどね、最近余った時間で考えるんですよ、わたしが黙っていることに意味はあるのかどうか。
これまでの姿勢に懐疑的になったと。
そうとも言えますね。これまで黙っていたという事実に、黙らされているようにも感じた。
過去の束縛のようなものですか?
ええ、それがなんだか、いやだなぁと思いましてね。過去のいくつかの地点において、その主張は様々ですが、何かにつけてわたしは黙ってきたわけです。その沈黙がわたしという体裁を保ってきたことも否めない。けれど沈黙の意義を他者の解釈に任せながら、わたしは自身の内面を空白のままに育ってきたような気がするのです。
自身の内面を変化させるために話を始めたということですか。
いえ、むしろ…。むしろわたしの内側は空っぽであるということを人に晒すために、わたしはこうして話すのではないかと思います。
その会話がどのように終わったのかはよく覚えていない。1人になってから、私は彼に何を聞いたのか思い出そうとしたが、それはあまりにも曖昧な形をしていて言葉にさえできなかった。
夜になると、会話の内容はいよいよ思い出すことが難しくなった。今となっては、何故私が彼に取材をしたのかさえ記憶になくなっていた。そこで取材に使った録音機を取り出し、その会話を聞くことにした。しかし、再生ボタンを押してしばらく聞いてみても、その内容が掴めない。よく聞いてみるとそれは人間の言葉ではないのだった。
「みゃあみゃあ」
ようやく私は理解した。あぁなんだ、私がインタビューしていたのは、部屋から消えたあの猫だったのか、と。