家に帰る生き物

  子どもの頃の記憶だが、教育テレビの番組に、殻ではなく家を背負ったカタツムリが登場するクレイアニメがあった。とてもほのぼのとした雰囲気で、とても好きだったことを覚えているが、そのタイトルや詳しい内容はほとんど覚えていない。そこで調べてみたところ、「ジャム / ザ・ハウスネイル」というタイトルだったらしい。果たして当時認知していたのかも定かではない、聞き覚えのないそのタイトルとともに、懐かしい画像が見つかった。

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  ジャムというのが画像左の主人公の名前、ハウスネイルはこの生物の名前らしい。右はピペといい、ジャムが学校に行く途中に出会ったという。この生き物はは家に居ながら学校に行けるのか。なんだかうらやましい。

  人間は家を身につけていないので、出かけるときは家から離れなければならない。「いってきます」という挨拶とともに、玄関を開けて。出かける理由と目的は様々で、帰ってくるまでの時間の長さも人それぞれである。ある時は仕事に、ある時は遊びに。帰るのがその夜であることも、はたまた数日後になることもある。けれど、人は必ず家に帰る。自分の本拠地や、あるいは自分にとって安心できる場所として。家が人との関係において果たす役割はどうであれ、人は家に帰るのだから、扉を開けて歩み出すその一歩は、同時に長い帰り道の第一歩でもある。

  家の話から少し逸れるが、お布団にも同じことが言える。つまり、お布団から出て歩み出すその一歩は、同時にお布団への長い帰り道の第一歩でもある。そう、我々はいまもお布団への長い帰り道の途中にいるのだ。お布団を単に寝床と言ってもよかったが、憧憬の念も込めて、ここではお布団と呼びたい。

  家の話に戻ろう。先ほど述べた、安心できる拠点としての家とは、異なった家の捉え方もあるかもしれない。常に生活の中心としてあり、そこで繰り返されるルーティンが安住を生み出している家とは違って、単に次の目的地への中継地点として家の役割も考えられる。つまり、自分の財産の置き場所であったり、持ち物の整理・補充をするためだけの家である。たとえば、次から次へと仕事場所へ飛び回る人や、たまに家に帰るが、基本的に家ではないさまざまな場所で生活する旅人などにとって、家はそのような捉え方がされるかもしれない。しかし、実際そんなことはあり得るだろうか。数少ない例外があるにしても、家というのはやはり、人にとって特異性のある場所なのではないか。あるいは、そういった特別な場所を家と呼ぶのだとも考えられる。とにかく、家というのは単に中継地点としては有り得ないような気がするのである。

   ところでジャムの話だけど、ネットで第1話の動画を見つけたので視聴してみたら、ジャムは学校が終わってから山の上に帰るんだけど、そこにはもちろん入るための建物も何もなくて、ただお母さんとお父さんがいるのだった。

 

※「ジャム 」のエンディング曲、YoutubeのURLを貼っておきます。みんな思い出すと思うので、ぜひ。
https://youtu.be/1ebLmNHIWWE